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言葉について アジサイの広場
ピエッパにお中3 カタカナといえばどのような物を連想するだろう。主な物は外国から来た言葉だ。でも僕は「ガチャガチャ」や「ドタバタ」などの擬態語、いわゆ る幼稚園文字を連想してしまう。だから、日本ではカタカナの地位は低いとされている。しかし、欧米の学芸を示すときなど、カタカナが地位を逆 転することがある。例えば、「哲学」という言葉。日本語でも威信があるが、「フィロゾフィー」というと、凄いもののように聞こえる。しかし、 この「哲学」という漢字を使う日本の中で、「フィロゾフィー」という欧米の言葉を押し付けて使うと違和感がでてきてしまう。僕は、言葉は相手 の考え方や立場を押し付けないほうがいいと思う。それにはどうすれば良いのだろうか。  

 まず、相手の国や風土をよく知ることが大切だと思う。例えば、外人の人が日本の家にホームステイする時に、土足で入ったとする。しかし、そ
れは日本ではありえないことで、外人がどれだけ  

 「自分の国では、土足でも・・・」
 

 などと話しても、常識外れなのである。
 

 次に、自分の国と違う人と仲良くなることも大切だと思う。僕は、中一の時に一回だけ、外国人と交流したことがある。社会の授業で学校案内を
するというものだったが、本当にいい経験になった。まだ習いたての英語がどれだけ通じるかもわかったし、ゲストの立場に立って話すこともでき  

 確かに、言葉を使うときは自分の考えが出てしまう。しかし、それを抑えて相手の立場に立って話すことも大切である。それには、相手のことを
できるだけ知るということが大切なのだ。  

 
                                             
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