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喜びや悲しみを手に入れるために イチゴの広場
ミュウあおゆ中1

「現在」というときは、実質的な時間幅を持つことが当然の前提である。日常的に使われている「ただいま現在」とは、「予定された未来」をさす
のだ。子供たちには地位は泣く、力はなく、知識はなく、お金も名誉もない。彼らが持つものは、唯一「真の未来」だけである。  

 「予定した未来」は、自分が思いこんでいる、自分で予定したものであって、「真の未来」ではない。自分にとって都合のいいのは、「予定され
た未来」だと思う。自分で、将来は良い高校にはいって、良い大学にはいって、良い大きな会社にはいる。と、予定するだけは誰にでもできる。で は「真の未来」ではどうか。普通の高校にはいり、普通の大学にはいって、普通の会社  

 私は、「自分で予定しておいて、そうならなかった。」というより、はじめから予定をしていないでおくのもいいと思う。予想しない事がおこっ
て、おどろいたりするのや、よろこんだり、悲しんだりするのがいいと思った。。予想しておくと、そういう喜びもなくなる。「こうなることは当 たり前なんだよ。」というのは楽しくない。悲しむことも大切だと感じたからだ。人生なにごとも思い通りにいって、楽しいはずがない。悲しいこ と、嬉しいこと、それを経験し、いろんな事を学んで成長していくのが人間なのではないか。  

 たまには予定された思い通りの未来になることもいいが、喜んだり悲しんだりして、今自分が生きている時間を楽しんでいくことも大切だと思う
                                                   
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