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民族的消極性 イチゴの広場
眠雨うき高2

 日本ではボランティア活動が不活発であると言われる。しかし、だからと言って日本人が思いやりや助け合いに無関心なわけではないのは、日本
に生きる我々の隣人を見てみればわかる。では日本人になにが足りないのかというと、それは「思いやり」でなく「思いきり」ではなかろうか。我 々は何かをなそうとする前に、つい周りを見てしまう。周囲からはみだすことを恐れ、打たれる杭になることを恐れる。結果思いやりの実行への移 され方は消極的になり、ボランティアのみならず、諸々の活動が消極的な国民に見られてしまう。この日本人特有の、ライン内にいることに安心感 を抱く精神は、今後の世界へ接していくにおいてマイナスのポイントになり得るだろう。  

 こうした隣に倣えの精神が生まれてきた原因としては、第一に日本の統治政府が強大なものであったことが挙げられる。日本にはヨーロッパのよ
うな市民革命はなかった。一揆はあったが、政府を打ち倒して民主主義をつくりだすほどのものではなかった。また、それは織田信長を始めとする 支配者たちによって激しく弾圧された。弾圧されるほどに、日本の民衆と政府の間には力の格差があったのである。かくして日本は支配者による統 治という政治形態が長く続き、政府に対する恐怖感は民衆の本能に深く刷り込まれた。支配者の打ち出したシステムから外れれば弾圧される。シス テムの内側にいれば生活は保証される。つまり日本人は「萎縮」したのであるということができよう。  

 また第二に、日本の生活体系が「個人がやる」というものでなかったことも原因と言えるだろうか。日本人は弥生時代から連綿と続く農耕民族で
ある。肥沃な土地を活かして集団で農業を行ない、収穫をし、それを分け合ってきた。それは多くの人間が共同でやる作業であるために、一人が予 定と違うことをやれば大勢の人間に迷惑がかかった。対して欧米諸国は土地がそれほど肥えておらず、ヨーロッパなどは氷河に覆われていたのでと てもまともな農業ができる環境ではなかった。つまり欧米民族は元来が狩猟民族なのである。狩猟は農耕と比較して、協力する人数というのは少な い。またテキスト通りの行動が常に求められるわけでもない。こうして日本と欧米の間には個人のラインの差ができ、個人の活動の思いきりの差が できたとも言えはしないだろうか。個人的な体験になるが、オーストラリアの友人が日本に来たことがある。一緒にマクドナルドを食べ、食べ終わ ったあとに机を片づけながら、彼は「オーストラリアでこういうことをすると怒られる」と笑った。仕事をとるな、と怒られるのだそうだ。民族の 意識の違いは、現代にも受け継がれている実例だろうか。  

 日本人にはもう少しライン外へでる気持ちが必要である。とは言っても、確かに、誰もが思い通りのことをしていては社会は成り立たないし、あ
まりにアクの強い人間ばかりが集まっても船頭の多さに船が山へ登ってしまうだろう。大切なのは状況をよく見据え、自分はなにをしなければなら ないかをきちんと見極めることができ、さらにそれを恐れずに実行できることだ。日本人は「必要」を見極めることができても、誰かやってくれな いだろうかと周囲を横目で見て悶々としてしまうことが多い。必要なのは思いきりだ。誰かが疑う正しいものを、正しいと言える力だ。それはガリ レイの呟きであり、コロンブスの航海であり、エーテルの否定であり、我々がいつか押し殺した、語られなかった言葉なのだ。                                                    
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