| 遠くから |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中3 |
| 大きな木の下には草も育たない。文章であれ人間であれ、優れた影響力をも |
| っているものの下にたっては、自分の考えがはっきりしなくなっていってしま |
| う。偉大なものからは離れ、敬遠する必要がある。師が優れているからといっ |
| て、必ずしも門下に偉人が現れるわけではない。心有る門弟は、あえて門の下 |
| でなく門の外に出る勇気がいる。偉大なものは、ちらと目の端にとどめるだけ |
| においておくのが一番いいのである。 |
| 私の友人にアマチュアの作家がいる。本職は料理人だが、趣味で文章を書い |
| ている人間だ。彼の文章は上手く、そしてその手法は特徴的だ。読点で文を切 |
| るところを、句点を使って文を切って、読者がいったん想像を挟む隙間を与え |
| るのだ。例えば、 |
| 「必要な犠牲ってのも、世の中にはあるんだぜ」 |
| という台詞があるとする。彼ならばそれを、 |
| 「必要な犠牲ってのも。 |
| …世の中には、あるんだぜ」 |
| と表記する。この手法を見た私は、彼の文章力の高さもあり、感心した。そ |
| れ以後、時折自分の書く文章にこの書き方を利用させてもらっている。だが、 |
| そのまま流用するのではなく、彼の悪い癖でもある「文の切りすぎ」を行わな |
| いように注意してだ。彼は、時たま文章の不要な部分に句点をうってしまい、 |
| 切り方がややくどくなることがある。その欠点をなくすようにアレンジし、表 |
| 現に使う単語も私なりのものを使っている。強い影響力を持つ優れた文章を、 |
| 少し離れた視点から見て、その長所と短所を理解した上で長所を利用している |
| わけだ。 |
| 有名な人物でも、優れた人間がいたとしてもその影響を受けすぎてはいけな |
| いという例がある。例えば、日本のトップアーティストであるB’zの音楽。彼 |
| らの音楽には、時たま洋楽の有名なバンドの曲の流用や、曲の一部をそのまま |
| 使ってしまうというのが見られる。「DON’T LEAVE |
| ME」はAEROSMITHの「CRYIN’」、「Jap The Ripper」はDamn |
| Yankeeの「Don’t tread on Me」、「B・U・M」はDan Reed Networkの「World |
| Has a Heart |
| Too」。これは作曲担当のTAKがわざと「パクって」いるのか、それともそのよ |
| うなバンドの影響を受けすぎていて知らぬ間に使ってしまっているのかはわか |
| らないが、あまり誉められたことではないはずだ。こうした他のアーティスト |
| の曲を吸収し、多少アレンジして自分のものとして発表してしまうのが「B’z |
| 確かに、偉大なものに影響を受け、その力を多少でも吸収したほうがよりよ |
| くなれるという意見もあるだろう。しかし、吸収した力はあくまで吸収した力 |
| であって、そこからの個性出しにはこぎつけにくい。やはり、少し離れた場所 |
| から、良い点も悪い点を見て、良い点をチョイスして自分のものにしていくの |
| がいいのではないか。「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがあるが |
| 、所詮は経を読むしかできないのだ。そこで得た経験を胸に次の一歩を踏み出 |
| すというのが、影響を受けすぎた人間には困難なのだ。他人の長所を見つけ、 |
| それを貪欲に吸収していくのは良いことだと思う。だが、あまり近くで影響を |
| 受けるとそこからの応用ができなくなる。ある程度の距離を保って、大きなも |
| のには接したほうがいいのだ。 |