ああすれば、こうなる |
イチゴ | の | 池 | の広場 |
太一 | / | あうけ | 中1 |
「ああすれば、こうなる」型の社会では、さらに違った側面があらわれる。 |
その一つは、時間の変質である。頭の中では、時間は過去、現在、未来、三分 |
割される。ところが、時間直線を書けばわかるように「現在」とはその時間直 |
線の中での一点に過ぎない。それは直ちに未来から現在へと繰り込まれる。時 |
の瞬間ににすぎないのだ。しかし、「現在」というのは実質的に時間幅を持っ |
ている。即ち、日常的に使われる「現在」は「予定された未来」をさすのであ |
る。「ああすれば、こうなる」で囲い込まれた時だ、と表現してもいい。現代 |
社会の最大の被害者たちは、「漠然とした、定まらない未来」だけを財産とし |
ている子供たちである。子供たちに地位はなく、力はなく、知識はなくお金も |
名誉もない。かれらが持つものは、唯一、「真の未来」だけである。現代社会 |
は、それを惜しみなく奪う。 |
僕は、この文章を読む前は、現在は、未来のための準備期間だと、ずっと思 |
いこんでいた。そして、僕の生活を振り返ってみると、たとえば、きょうは、 |
塾へ行くから、家になるべく早く返らないといけない。そういうことになると |
、学校が終わってからの時間は、決められる。ほしいものがあるから、お金を |
貯めたい。すると、これから節約をしなければならないことになる。…やはり |
、僕の生活も「ああすればこうなる」でこうそくされているのだ。 |
こうして自分の生活を思い出してから思ったが、現代社会では、「ああすれ |
ば、こうなる」拘束されない人はほとんどいないと思う。現代は「ああすれば |
、こうなる」の法則?で動いているのではないだろうか。『私たちの人生は、 |
私たちが費やしただけの価値がある』ということわざがあるが、拘束された僕 |
の生活の中でもすこしは、このように生きていきたい。 |