けじめをつけていきましょう |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
馬のしっぽ | / | はり | 中3 |
「国際化」がスローガンさながらに叫ばれているのは日本だけである。日本人 |
が「国際化」の必要をかくも熱心に唱えるのは、日本人自身が今なお自分を閉 |
ざされた特殊な民族と意識し、それを克服しなければならない欠点と判断して |
いるからだろう。世界を支配しているのは、欧米の論理であって、日本はそれ |
に自分をある程度合わせない限り、国としての生存を維持できないからにほか |
なるまい。決して美しい正義の御旗なのではない。 |
国際化、つまり欧米化に向かおうとしている。鎖国の間、日本は世界から大 |
幅に遅れをとったが、日本にはものごとを吸収しそれを自分のもの(日本のも |
の)していく知識を備えていたので、戦後50年の間に、あらゆる物において欧 |
米に追いつき、ものによっては追い越してしまった。しかし、日本は欧米に追 |
いつくと同時に、日本古来から続く伝統や習わしなどを失ってきた。例えば、 |
着物である。浴衣や着物というものは、昔なら家にいるときも、外に買い物に |
行くときも、必ず当たり前のように着ていったものである。しかし、今は「洋服 |
」というものがあり、それを当たり前のように日常で着用している。着物また |
は浴衣といったものは、夏の花火大会、納涼祭り、成人式、お正月など着る時 |
や場所というのが限られてしまっている。また、日常に用いられているものの |
中にも、徐々に消えてしまっているものもある。例えば、畳だ。授業の時に日 |
本文化についてのビデオを見たのだが、そのなかで、畳を作る人というのは、 |
もう国内に一人しかいないということだった。それだけ、今の日本国民が日本 |
の伝統というものに関心がなく、欧米化が進み、日本独自のものが消えていっ |
ているということだろう。 |
国語の授業中や自分の意見を主張したりしなければならない立場に立ったと |
き、周りの反応が怖くて、なかなか本当の自分の心の中にある意見を言えない |
人という人がいるのではないだろうか。私はその一人である。国語の授業中、 |
質問されている項目に自分なりの意見があっても、先生や後から発言する友達 |
の意見が自分と食い違うと思うと、怖くてなかなか言えなくなる。テストの解 |
答にも自分の意見が書けず、授業中に先生や周りの友達が行ったことを書いて |
いる。相手の意見は相手の意見として、区別して取り入れていくことが必要だ |
と最近思えるようになってきて、徐々にテストでも自分の意見を書いていくこ |
とが出来るようになった。個性というものを大切に出来るようになってきた。 |
確かに、「日本は神の国であり、他国を攻めても攻められても決して負けな |
い」という思いを持つことは良くない。しかし、何もかも欧米の真似をしてい |
けば、それだけ「日本」というものが国内から消えていき、「日本とはこのよう |
な国だ」ということが言えなくなる。今の日本が叫んでいる国際化とは、今の |
欧米に近づくということだと私は感じる。国際化は確かにこれから日本という |
国が存在していくためには必要かもしれない。しかし、それは我々日本人が「 |
国際化」という言葉を曖昧ではなく、しっかりと意識して考えてから行なう必 |
要があるのではないだろうか。 |