自由(部品修理的な医療) |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
石井 | / | つと | 社 |
医学生が学ばねばならない教科書は、30年前の7~8倍になるという。た |
たみ二畳ほどの机に山積みされた本をひとしきり頭にたたき込まねばならない |
のだ。人体の分析の細分化が、専門分野を増やして行った。一人では抱えきれ |
ない膨大な学問に発展してしまった西洋医学は、人間を部品の集まりとしてと |
らえ、各々の部品の故障を各専門家が担当するという形をなしている。そのた |
め、患者を一人の人間として見ることができず、自分の専門領域だけに閉じこ |
もった医師も多い。全身全体的な愁訴や、心理的訴えをあからさまに嫌う、あ |
るいは対応できない医師。患者の部品修理によって、他の部品や全体に与える |
影響を無視する治療を行い、かえって患者の健康状態を低下させる医師。この |
ような医療が様々な不満や問題となって現代医療に改善を迫っている。 |
近代科学文明の方法論は、物事の要素を細分化し観察した情報を分析して原 |
理や法則を見いだすことにある。近代医学が急速に発展して来たのも近代科学 |
の方法に依るわけで、微細な現象や、原理の発見は、様々な治療や薬品を生み |
だし、病気を見事に克服してきた。しかし、細分化される程に全人的な見方や |
配慮が置き去りになる。化石燃料の枯渇に対して有効であろう原子力が潜在的 |
に持つ地球全体への破壊力。無害、有用の化学物質として合成されたフロンガ |
スが地球に与えた思わぬ悪影響。しかも、その対策として開発された代替フロ |
ンにも強力な温暖化作用があると判明した。近代科学の発展の結果、個々の科 |
学的勝利は必ずしも全体の勝利とはならない、という壁に突き当たっている。 |
地球的規模で考え、人間の生活態度に立ち戻って、科学を見直さねばならなく |
なってきている。現代医学にも同様の問題と壁が含まれていると考える。 |
一方、近代医学発展の蔭で、無視されてきた東洋医学が最近注目され始めて |
いる。西洋医学の抱える問題に対する答えが、そこには含まれていないだろう |
か。2000年以上前に、近代科学文明ではなく、独自の文明をもって完成さ |
れ、現代に受け継がれている医学である東洋医学は、人体を全体としてとらえ |
、臓器を分類しつつも、常に他との関係において把握する。各臓器と全身を流 |
れる気のバランスが崩れることが病の原因であるとしている。全体の気のバラ |
ンスを整えることで、人体の自然治癒力を呼び起こすことを治療の目的として |
いる。そのため、患者の性格、生活、から様々な愁訴まで、健康状態をトータ |
ルにとらえ、感じて、分析することから、治療が始まる。西洋医学を受診する |
不安感や恐れとは対照的に、患者は安心感と心地よさを体験する。部品修理的 |
な西洋医学とはまったく異なった医学であり、2000年に及ぶ実績があり、 |
治療を受けた者の信頼も厚い。 |
近代科学の発展が一定のレベルに極まった今日、地球に優しい、エコロジカ |
ルな考えが重要視され始めている。近代医学が直面している様々な問題も、人 |
に優しい、全人的な考え方が求められているのであろう。確かに、東洋医学は |
生死に関わる、緊急性高い医療には不向きである。しかも、現在の科学文明で |
は解明できない現象や対象となり得ない思想を含んでいる。しかし、実際には |
、慢性的な疾患や、その他命に関わらない様々な愁訴に対しては、非常に効果 |
的な実績を上げている。患者との全人的な信頼関係も、西洋医学よりも強いと |
思われ、それも一つの治療効果となる面も認められる。西洋医学の輝かしい実 |
績の中で、科学の対象から置き去りにされた、患者を一人の人間として見る目 |
を取り戻すこと。そのヒントが東洋医学の治療にあると考える。 |