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生きている時間
アジサイの広場
風間こと大2
 『時』もしくは『時間』は私たちの人生が、その上に展開する座標のような
ものではない。私たちの社会は『時』を『時計』や『ものさし』として考えが
ちだが『時』は物事の根本から考えると触れることが可能な『生きているもの
』としてとらえることができる。例えば現代の時間と古代の時間の流れは違う
し生き物にしても人間とカメでは時間のとらえ方が違う。その『もの』ごとに
『時』は姿を変え、そして何らかの意味を持ちうる。『時』は『もの』として
意味を持って存在している。
 
 『時』が意味を持って存在している、という良い例に次のようなものがある
。日本人は十二月になると急にソワソワしてしまう。まさに文字どおり『師走
』でありクリスマスや大掃除、仕事納など、一年の集大成が十二月に集中して
いる、と言っても過言ではない。私も十二月になると、その一年間の自分の行
動を走馬灯のごとく思い出しては溜め息ばかりついている。十二月という『時
』は私たちにプレッシャーを与えている。
 
 貧しいが美しい少女が魔法使いのお婆さんに願い叶えてもらい、お城の舞踏
会に参加して王子様と至福の時間をすごす、、これは『シンデレラ』の物語で
ある。主人公の少女は魔法使いのお婆さんとの約束により夜中の十二時までし
かお城にいられなかった。だから少女は短い時間を有効に使って王子様と相思
相愛の仲になった。『十二時まで』という短い『時間』は少女の『運命を変え
る力』を引き出したのだ。
 
 『時は生きている』ということを普通に生活している限り感じることはない
。しかし私たちが気付かぬ間に私たちの日常生活、社会に様々な影響を及ぼし
ている。現在の社会では時間を有効に使うよりは時間に振り回されているとい
う傾向が強い。『生きている時間』を有効に使えば、それだけ自分に有利にな
る。これはビジネスにも当てはまる。まさに『時はかねなり』なのだ。