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ひとこと(8月4週)
どこかへ旅行が
アジサイの広場
乱月あし高3
 どこかへ旅行する時、書物を読んだり人に聞いたりすることでおおよその行
く先を決めることはできるが、結局は自分で当てずっぽうに行くことになる。
その他方で、はじめから行く先を決めておいて、そこについて書物を読んだり
、人に聞いたりするという方法もある。しかしこのことには、素人だけにさま
ざまなミスを犯すことが多く、非常に危険な方法ではある。しかし他方、自分
が旅に来たのだという実感はこの上なく、また、案内書に載っていないような
名所を見つけることができるので後者の手段を使う人は多い。
 
  自分で発見することには多くの試行錯誤があるにも関わらず、その経験は
次へとつながるものがある。多くの科学者は、天才的な発想と試行錯誤で多く
のことを発見してきた。今後の学校教育に取り入れられるべき要素としてこの
「試行錯誤」が挙げられる。子供の発想能力を抑制させているのは大人の既成
概念にとらわれた教育だという統計もある。合理的な今日の教育体制の欠点は
そこにあるといえる。
 
  学校では「日本の東北地方は農業が盛んです」ということは教えても、「
田植えする時にはこんなことが大変なのです」ということは絶対に教えない。
実際に田植えをさせれば、冷害がどのように影響するか、とかどのくらいの期
間で芽が出て、どのくらいの期間で収穫できるのか、とかいうことが手に取る
ように分かる。しかし合理性を追求してしまう今日の教育では、それらすべて
を教室で教え込んでしまうのだ。私の母校では、小規模ながら田植えを実践し
た。収穫まで至った稲は茶碗一杯分ほどだったが、環境状況だけではなく、農
家の多くの苦労を少しだけ体験できた。
 
  小学生のガウスは、1から100までの和を一瞬にして出してしまったという
。彼の教師は肩透かしを食らったわけだが、このことは彼の長い苦労の賜物だ
ったはずだ。生半可な計算量ではこの発想は生まれないはずだし、実際の彼も
幼いころから多くのことを考えていたはずである。この下積みこそが大切なの
だ。
 
  確かに見当外れなことに対して努力するのは無駄が多いことだし、実際何
のためにもならない。しかし最低限軌道修正してやることだけでその人には普
段の数倍為になるのだ。千里の道が一歩からだということを知るには、実際に
歩いてみるのが一番早い。今日の学校では、ただ無理強いをするだけで歩かせ
ることもしないというのが現状なのだ。
 
  ゆとりのある学校教育とは、いかに田植えができるかにかかっている。