言葉の森のビジョンの図解説明の第3回です。
さて、これまでの経済の特徴の一つである工業の発達によって豊かになった社会を工業社会と呼ぶと、工業社会の教育は次のような形で進められてきました。これが、現在まで行われていた教育です。
個人は、豊かな消費生活を実現するだけの収入を得るために企業に勤めます。その企業で求める人材は、工業生産の優れた歯車として使える広範な基礎学力を持ち、企業の特定の専門分野で高度に能力を発揮できるような人材です。
広範な基礎学力と優れた専門能力は、企業が求める人間像であるとともに、個人が自ら求める人間像でもありました。
そのため、教育のスタイルは、ある目標をめざして全員が同じ方向で努力するものになり、その目標を達成するためにテストによる競争と勝敗が教育の中に自然に組み込まれるようになりました。
同じ方向とは言っても、小中学校では比較的幅広い教科にわたって、高校大学ではある程度専門化された教科の枠の中で行われるという違いはありました。しかし、基本的な仕組みは、共通する目標に向かって一本道を進むという点で同じものでした。
では、新しい時代の社会の仕組みはどうなるのでしょうか。
自己の向上を欲望の焦点にした社会は、次のようなサイクルで成り立ちます。
まず、個人はよりよい自分を求めて生きていきます。そのために、自分を向上させる何かを習おうとします。
何かを習うことによって自分が次第に向上するとともに、やがて自分自身もほかの人に何かを教えることができるようなレベルにまで向上していきます。それは、向上をつきつめていくと創造が生まれてくるからです。
その習い方を修行と呼び、習う場所を道場と呼ぶとすると、その道場での修行が権威を持つようになるにつれて、更に多くの優れた人がそこに参加するようになります。
その修行者の増加によって生まれるものは、その修行自体の質の向上と修行の方法における技術革新です。その技術革新の結果、ますます多くの人がより高いレベルの修行に、より短期間で到達するようになります。
工業社会では、技術革新によって生まれるものは主として省力化で、それは人間の労働力を不要とする方向で発展しました。それは、ある面では労働時間の短縮というプラスの面を生み出しましたが、他方では就業機会の減少や失業というマイナスの面も生み出しました。
修行社会では、技術革新によって生まれるものは修行自体の発展で、それは人間の修行を効率化する方向で発展していきます。それは、修行の到達レベルの上昇と、修行の多様化を生み出します。工業社会では、技術の進歩につれて人間の労働が不要になるのに対して、修行社会では、技術の進歩につれて人間の修行内容がより豊かになっていくのです。
このような時代は、人類の過去の歴史でも何度かありました。
古代ギリシアでは、自由民と男性だけに限られてはいたものの、哲学や芸術やスポーツや政治の分野で市民が自由に自己を向上させることが社会のダイナミズムの中心になっていました。
江戸時代の日本では、武士階級から町人階級まで広がる形で、武道、茶道、歌道などさまざまな分野の芸術や技能や武術や学問が多様に発展していました。
しかし、江戸時代は、その修行文化を更に押し進め完成させる前に、近代ヨーロッパの科学技術文化に遭遇し、列強の植民地化の脅威に対抗するために、自らの文化を工業社会の文化に変容させざるを得なかったのです。
簡単に書くつもりが、どんどん長くなっていく。(^^ゞ
さて、新たに生まれようとしている修行社会の教育はどのようなものになるでしょうか。
一つは、全面的な基礎教育です。工業社会の教育は、英数国理社美技音体と一応バランスのとれた多くの教科によって成り立っていますが、工業社会の人材を生み出すためにある限られた範囲で競争する必要があるため、点数の差のつきやすい英語、数学、国語などの主要教科が勉強の中心になります。
しかし、修行社会の教科は、個人が将来どの方面に自分を開花させるにせよ、その可能性を広げるためにできるだけ多様な教科を身につけておく必要があることから、本質的に全面的な教科を学ぶという性格を持っています。
もう一つは、個性を生かしたオンリーワンを目指す教育です。工業社会では、個性を生かすということは、往々にして趣味の分野で生産活動から離れた形で一種の逃避に近い活動として行われことがありました。修行社会での個性とは、そのような根のない個性ではなく、その個性がそのまま社会での仕事に結びつくような個性です。
したがって、学校教育も、学校の中での教育として完結したものではなく、常に、個人が社会で個性的に活躍するために何が必要かという観点から行われるようになります。それは教える教育ではなく、アドバイスする教育であり、生徒の側も、教わる勉強ではなく自ら学ぶ勉強として学習に取り組むようになります。
未来の教育では、一斉授業とテストによる評価というものは、基礎教育の初期には行われるものの、その後の教育の大部分は、自学自習と人生設計の相談という形で行われるようになるでしょう。
現在の教育には、まだ工業社会の影響が色濃く残っており、ある決められた範囲の教育内容を競争を通して学ぶということが主流になっています。
その反対に、自己の向上のために学ぶという未来の社会の教育は、まだ小さな流れにしかなっていません。
しかし、今後、急速に競争教育の前提そのものがなくなっていき、それとは逆に、自己の向上のための教育が大きな流れになっていくでしょう。
早めにまとめる予定だったのに、なんだか、まだ続く(笑)。