吉田松陰の「留魂録」は、松陰が処刑される前日に、門下生に向けて書いた約5000字ほどの手紙のような書です。半紙を四つ折りにして十九面に細書きしてコヨリでとじて冊子にしてあります。
この書の初めに、松陰の和歌が書かれています。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置(とどめおか)まし大和魂」。
この書は、内容ももちろん心を打ちますが、私はそれ以上に、これを十数年も守り続けた囚人沼崎吉五郎(ぬまざききちごろう)の生き方に感銘を受けました。
松陰と同じ獄舎にいた牢名主の沼崎は、処刑の前日、松陰に次のように頼まれます。「自分は、(この書を)別に一本郷里に送るが、無事に届くかどうか危ぶまれる。そこで、(あなたが)出獄したらこの書を長州人に渡してもらいたい」と。
松陰の「留魂録」は、門下生らによって郷里の萩に送られ、ひそかに回覧されますが、やがて所在が不明になってしまいます。
もう一本の書を預けられた沼崎は、その後三宅島に流されます。十数年後、幕府が倒れ、沼崎は流人の身から解放され本土に戻ることができましたが、既に老人になっていました。
神奈川県の権令(ごんれい)という役職にいた野村靖という松陰の門下生のところに、沼崎が突然訪れたのは、松陰の処刑から十七年もたったころでした。
沼崎は、野村に、「貴殿が長州人と聞いたので」と、変色した「留魂録」を渡すと、そのまま静かに去っていきました。
私は、ここに、目先の損得や欧米流の合理主義とは異なる、人間どうしの義を重んじる生き方の強さを感じました。
日本は、今、不況に沈み、格差は拡大しています。子供たちの教育も、果たして確実に行われているのかどうか不安が残ります。
しかし、日本が今後復活するための最も確実な土台は、経済力よりも、学力よりも、何よりも国民一人ひとりが、相手の信頼に応えるという、この義の精神を失わないことだと思いました。
では、なぜ、「経済力よりも」なのかというと、経済力は今後の工夫次第で必ず発展させることができるからです。それも、中国依存や移民拡大というような方向ではなく、日本独自の工夫で内需の拡大ができるようになるはずです。
また、なぜ、「学力よりも」なのかというと、学力は、よりよい社会を作るための必要条件ではないからです。もちろん、将来の日本は学力の大国にしていかなければなりません。それは未来の子供たちの教育にかかっています。しかし、今の若者たちの学力に不安があるとしても、学力の不足は信頼感さえあれば補うことができます。
「葉隠」の中で、山本常朝は、人間に必要なものとして「勇・知・仁」の三つを挙げ、「知」とは、「人に相談することだ」と述べています。社会の中に信頼感さえあれば、学力の不足は克服できるのです。
日本の社会の治安のよさは、先進国の中では群を抜いています。タクシーの中に置き忘れた財布が、無事に持ち主のところに戻るだろうとほとんどの人が思っている国は日本だけです。
私たち大人の役割は、この信頼感を確実に守り、その土台の上に、新しい経済力と学力の花開く国を作っていくことだと思います。