作文のすごく苦手な子がいたとします。
「何でもいいから、自由に思ったことを書いてごらん」
と言われても、もちろん一文字も書けません。原稿用紙を前に、じっと動かないままです。
こういうとき、お母さんやお父さんが、なだめてもすかしても、もちろんおどしても、子供に作文を書かせることはできません。
それどころか、時間がたてばたつほど、ますます書けなくなるのです。
そして、書けない時間を長引かせれば長引かせるほど、子供の苦手意識は強化されていきます。
では、こういうときは、どうしたらよいのでしょうか。
言葉の森の通学教室では(通信教室の指導も基本は同じですが)、書き方の流れと、その作文に盛り込む表現項目を先に言ってあげるのです。
「最初に、こう書いて、次にこう書いて、そのあとはこう書いて、最後にこう書くんだよ。そして、この2番めの段落にもし会話が思い出せたら入れて、最後は自分の思ったことを書いていく。途中でお母さんやお父さんに聞いた話があれば入れていこう。」(たとえを入れる指導をする場合もありますが、その子の苦手度を判断して、何を教えるかは柔軟に決めていきます)
という感じです。
苦手意識の強い子には、具体的な文まで言ってあげるので、そのとおりに書き出すことができます。
そして、いったん書く手が動き始めると、あとは自分なりに書いていけるようになるのです。
この最初に手を動かすということが大事で、苦手意識の強い子は、最初の手が動き出さないのです。
ところが、もっと苦手な子もいます。
それは、小学校の低学年で、まだ書くことに全然慣れていないようなときです。
このときは、書き方の流れを具体的に言っても、まだ書き出せないことがあります。
大人から見れば、文章を書くということは、文章を口で言うことと同じように思うのですが、書くことと言うことは、全く別のことです。
口で話すことは、誰に教わる必要もなく、自然にできるようになります。ちょうど、鳥が自然に空を飛べるようになるのと同じです。聞くことと話すことは、本能のようなもので、人間には誰でもできるようになるのです。
しかし、読むことと書くことは、自然に任せていたのではできるようにはなりません。読む練習と、書く練習がなければできるようにはならないのです。
その中でも、特に書くことは、人間が人類の歴史のかなり後半になってから獲得した能力ですから、低学年の子にとってはかなり難しいことなのです。
ここで、よくある指導上のミスは、子供から書くことを引き出そうとすることです。
大人はつい、書く内容がわかれば書けると思ってしまうのですが、実は、内容よりも書くという動作自体がまだうまくできないという段階であることが多いのです。
そういうときの教え方のコツは、子供には口で言わせて、お母さんやお父さんがそれを文として書いてあげることです。
これが、親子で書く構想図という勉強法です。
親「今日は、何があったのかな」(と、さらさらと、「今日は何があったかな」と書く)
子「えーと、サッカーをした」
親「そう。どこでサッカーしたのかな」(と、さららさらと、「ぼくはサッカーをした」と書く)
子「公園で、けんちゃんたちと」
親「けんちゃん、サッカー好きだもんね」(と、さらさらと、「いっしょにやったのは、けんちゃんです」「けんちゃんはサッカーが好きです」と書く)
子「うん、でも、今日はぼくがシュートをいれたんだよ」
親「へえ、すごい。靴ぬげなかった」(と、さらさらと、「今日はぼくがシュートをしました」「このあいだみたいに、くつだけ飛んでいくことはありませんでした」と書く)
こういう調子で、親子で対話をしながら、子供が口で言ったことを、お母さんやお父さんがどんどん文章化して書いていくのです。
すると、子供はそれを見て、作文を書くという全体的なイメージを身につけます。
この全体像がわかるということがまず大事で、全体の流れがつかめると、だんだん自分でもできる気がしてきます。
そして、人間はもともと、人がやっているのを見るだけよりも、自分がやってみる方が好きですから、何も言わなくても、できそうな自信がついてくれば自分でするようになるのです。
この自分でやる気になるまで待つ、そのためにどういう感じでやるのかを何度も見本として見せる、というのが作文指導のコツです。
これは、作文に限らず、あらゆる習い事に共通することだと思います。
作文の勉強は、他の教科の勉強に比べると敷居が高いので、とくにこういう見本を見せるという準備が必要になることが多いのです。
見本を見せるというやり方は、生徒も先生もストレスが溜まらないところがいい点だと思います。どんなに苦手な生徒でも、安心して勉強できるので、暗い雰囲気になりません(笑)。