先日のワークショップの際に、構想図を書く練習をしました。
これは、言葉の森の作文指導で、「構成図」と呼んでいるものと同じです。「構成図」という言葉だと、学校の作文指導などでよく行われている構成メモのような感じに受け止めて、自分が作文に書こうと思うことをメモするだけに書くものと考えてしまう人が多かったようなので、今後「構想図」という呼び方も使うようにしました。内容は同じです。
構想図がなぜ構成メモのようなものと違うかというと、作文を書く準備という点では同じですが、書くよりも、考える過程を重視しているからです。
だから、考える途中の過程で、作文に書かないようなことも出てきます。脱線する話も出てきます。そして、構想図に書いたもののうち、作文に書かないものもたくさん出てきます。
書く直前の準備というよりも、書くずっと前のウォーミングアップのような準備が構想図なのです。
したがって、作文に書くことが既にすっかりわかっている場合は、構想図を書く必要はあまりありません。
小学生の作文、特に低中学年の作文はこのような書くことがすっかりわかっているものが多いと思います。何を書くかわかっているのに、わざわざウォーミングアップをするようなことは必要ありません。
学校などで行われる、構成メモを書いてから作文を書くという指導でも、ほとんどの子は、構成メモを書くのがいちばん難しく、それよりも作文を直接書いた方がずっと楽だと感じると思います。
書くことがわかっているときに、わざわざ構成メモを書くのは、まっすぐ行けばすぐに行けるところを遠回りして、しかも通りにくい道を通って行くようなものだからです。
構想図を書くのが必要なのは、書くことが漠然としている場合や、何を書いていいかわからないという課題の場合です。
そのときに、自分の頭に浮かんだことを次々に思いついたままに書き出していくと、書く内容がだんだんと輪郭を持ってくるのです。
だから、作文は「書く」過程で、構想図は「考える」過程で、両者は別のものと考えておくといいのです。
考える過程ですから、話がところどころ脱線する場合もあります。作文に書かないような話をついでに考えるということもあります。
むしろ、そういう自由度を持っておかないと、考えはなかなか進みません。
10月に横浜で行ったワークショップでは、二人の組で、取材される子供役と取材する親又は先生役と役割を分担して、作文の題材を構想図に書き出す練習をしました。
10分間の時間でしたが、A4用紙1枚にびっしり書いた人もいましたし、中には裏まで書いた人もいました。
構想図を書くのに慣れてくると、どういうテーマのときも、10分でA4用紙がほぼ1枚埋まるようになります。
すると、ここ構想図で書いたことがそのまま作文の材料になります。
作文を書くのが苦手な子や、課題が難しくてどう書いていいかわからない子にアドバイスするときに、この二人で書く構想図を使うと、10分で子供に的確な指導ができるようになります。
二人で書いた構想図を子供に見せれば、その子はすぐにその構想図をもとに作文を書き出すことができるのです。
普通は、この構想図は一人で書きます。
課題が難しいとき、又は、何を書いていいかわからないとき、まず自分の頭に浮かんだことを一文でいいので書き出してみます。
そして、その文から矢印を出すと、その書き出した一文に関連して、次の一文が出てきます。そこからまた矢印を出すと、また新たな一文が出てきます。
思いついたことを自由に書くことが大事ですから、書いたことが作文の中身につながらないようなことでもいいのです。
何しろまず書いてみるということが大事です。
これは、算数や数学の文章題の問題を解くとき、まず手で書いてみるということに似ています。
図形の問題や、難しい計算の問題のときも同じです。
問題をただ眺めて頭の中で考えるよりも、手で書き出して考えてみる方が問題の焦点が絞られてくるのです。
ところが、このまず手で書いてみるということをなかなかしようとしない子がいます。それは、「まず手で書いてみる」ということに慣れていないからです。
作文を書くときも同じです。書くのが苦手な子は、作文用紙を前にしてずっと何もせずに考えていることがよくあります。
手を動かさないで考えると、考えはなかなか進みません。
作文の中身にあまり関係がないように思われることでもいいから、何しろまず自分の頭に浮かんだことを手で書いてみるという動作が必要なのです。それが構想図です。
作文用紙に書くよりも、構想図に書くから、自由に書き出せるのです。
だから、小学校低中学年の構想図は、この何しろまず手で書いてみるということの練習としてやっています。
構想図を書くことに慣れる練習としてやっているのです。
お母さん方の中には、構成メモのような感覚で構想図を考える人が多いので、構想図と作文をしっかり結びつけなければいけないと思いがちですが、そういう前提があると、構想図はかえって書き出せなくなります。
思いついたことを何しろ自由に書き出してみて、そこから自分の考えをふくらませていくことが大事です。
そして、考えがふくらんだら、その構想図とはある程度独立して作文を書いていくのです。
構想図を作文にしっかり使うという方法もあります。
構想図の中で作文の材料に使えそうなことを見つけて丸などで囲み、書く順番に番号をつけて作文に書くという方法です。
しかし、いつもそういうことをやっていると、構想図を書き、作文を書くという作業がわずらわしくなってくると思います。
構想図は考えるためのもの、作文は書くためのもの、両者は結びつかなくていいと考えておく方が続けやすいと思います。
ところで、構想図は、作文の課題をあとでほかの人に取材するときに役立ちます。
小学校高学年になると、作文の課題が抽象的になってくるので、子供自身の体験だけでは話題が広がらなくなってきます。
そのときに、作文の課題に関連した話を両親に取材することが大事になってきます。
特に、普段あまりそういう話をすることのない父親に取材することが、子供の語彙力や題材力や思考力を育てます。
そのときに、その子があらかじめ書いた構想図を使うのです。
例えば、日曜日などの時間があるときに、父親に、子供が自分の書いた構想図を見ながら、作文の課題について説明します。
構想図を見て説明するので、説明は自然にくわしくなりますし、その子供が課題をどう受け止めているかが聞いている父親にもわかります。
課題を直接説明するよりも、子供が自分で書いた構想図をもとにしながら説明する方が、聞いている方も、どういうことが課題になっているかよくわかるのです。
そして、父親、又は母親に取材したことを、その構想図の空いているところに、追加してメモとして書き込んでおきます。
このようにすれば、作文を書く前の準備はしっかりできあがります。
この取材の際に、親は必ず具体的な自分の体験に基づいた話をしてあげる必要があります。
たまに、「そんなのはない」とか「わからない」とか言って、子供の取材にきちんと答えない親がいますが、それは親の努力不足です(笑)。
どういうことを聞かれても、子供の取材に、親は自分なりに具体的に答えてあげなければいけないのです。
子供の学力は家庭で決まります。学校や塾で教えてもらって学力が伸びるのではありません。家庭での読書生活と、家庭での親の対応の仕方がほとんどすべてなのです。
参考までに、この文章を書くときに書いた構想図を末尾に載せます。
初めは何を書くか決まっていませんでした。
構想図の話でも書こうと思い、約10分その構想図を書いてみると、書きたい内容がほぼ決まってきました。
その構想図をもとに、それを約1時間で文章として書き上げたということです。
普通、子供たちが作文を書くのには、1時間から1時間半かかります。
構想図を書かずに、作文を直接書くと、その1時間なら1時間が経ってみないと、自分がどういうことを書こうとしたかということがわかりません。
書いている途中に考えが深まることがありますから、作文の結末は1時間後でなければわからないのです。
それが、構想図であれば、10分で最後まで行きつけます。これが構想図の効用です。
短い時間で全体の結末までがわかるので、あとは時間をかけてその結末になるように文章を書いていけばいいのです。
作文を書く時間がないときは、構想図だけ書いておけばそれで作文を書く勉強のいちばんの中心である考える過程は済んだことになります。
構想図は、このように考えるためのものと考えておくといいのです。