先日書いた「言葉の森の新しい教育」は、これからの教育のあり方という、どちらかというと空中の話を書きました。
今回の「森林プロジェクトの新しい教育」は、今の社会の状況と結びついた、どちらかというと地上の話です。
まず、これからの世の中は、どう進んでいくかということです。
既に多くの人が述べているように、アメリカもEUも中国もロシアも日本も、経済がまともに回っているところはどこにもないように見えます。
リーマンショック以降の世界的な金融緩和にもかかわらず、どの国も経済は上向いていないばかりか、印刷されたマネーが膨らみつづけているばかりです。
この過剰なマネーが今後どうなるかというと、恐慌やハイパーインフレに進む前に、国家レベルの通貨切り下げ(デノミ)が行われ、それが各国に連鎖的に広がるのではないかと思います。
その通貨切り下げに伴い、資産課税の強化、社会保障の削減なども同時に行われるでしょう。
大きく見ると、これからは、今持っているストック的なものはあてにならなくなります。それは、資産、地位、学歴、所属、資格などです。
過去の蓄積は、あってもないぐらいに思っておくといいのです。
あてになるのは、フロー的なもの、つまり何かを動かせる力、人に役立つことができる力、人に喜ばれる力、人に求められる力だと思います。
そして、この経済の混乱の中で、真に価値あるものが見直されてきます。
その真に価値あるものとは、新しいものを創造することであり、その創造する力を育てることです。
このように考えて、言葉の森が、森林プロジェクトの企画として考えているものが、一つは、創造力のある子供を育てることであり、もう一つは多くの人が創造的な文化を作り出すことなのです。
さて、教育の仕事は、誰でもが行える仕事です。
教員資格があるから優れた教育ができるということではありません。大事なのは、資格や知識ではなく動機と向上心と継続です。
インターネットの時代には、知識の多くは公開され共有されています。
その結果、世の中の仕事も、多くが共有されるようになっています。
シェアリングエコノミーが成り立つのは、プロとアマの差がなくなってきているためで、その差を埋めているものがオープンな評価です。
シェアリングという考え方は、これからさまざまな分野に広がっていきます。
教育の分野であれば、それはシェアリング教育になります。起業の分野であれば、それはシェアリング起業になります。
これからは、多くの分野で、プロもアマも問わず互いの交流の中でよりよい方向やよりよい方法を参加者が共有できるようになります。
森林プロジェクトで行っている作文講師資格講座は、このシェアリング教育の一つとして考えてもらうといいと思います。
昔、作文指導というものは、教育のプロでなければよい指導は行えないという考えがありました。
その名残りの一つが、今でも読書感想文の優秀作品に指導した先生の名前が併記される習慣だと思います。
優れた教師が、優れた子供を指導して、初めて優れた作品ができあがるという考えがあったのです。
ところが、言葉の森が読書感想文の書き方を提唱してから(だと思いますが(笑))、読書感想文指導は、やり方さえわかれば誰でもができるものになってきました。
また、作文が苦手な子に作文を書かせるというのも、これはまだあまり普及していませんが、やり方さえわかれば誰でもできるものになっています。
コンクールに入選する作文や、受験に合格する作文も、これは更にまだ普及していませんが、やり方さえわかれば誰でもできるものになってきています。
この、プロでなければよい指導できないと思われていた作文指導を、誰でもできる形にノウハウ化したのが作文講師資格講座です。
ただし、作文指導はやはりほかの勉強の指導に比べると格段に難しいところがあります。
だから、文章としてノウハウ化されたもの以外に、リアルな相談や研修も必要になります。
そのリアルなやりとりを支えるものが、インターネットを利用した講師どうしの交流です。
そして、言葉の森が今考えているのは、森林プロジェクトの作文講師資格講座を作文指導だけにとどめるのではなく、広く創造教育の一環として行っていくということです。
言葉の森では、現在、従来の作文指導と並行して、自主学習クラスや思考発表クラブや合宿教室などの企画を行っています。
これらの新しい教育を普及させるとともに、新たな創造教育の開発を、オープンソースとシェアリングエコノミーで行っていきたいと思っているのです。
例えば、思考発表クラブで今行われている、読書紹介や、構想図発表や、経験交流などと同じように、講師が自分の得意分野を生かして新しい講座や新しい交流の場を作り出していくことです。
私が個人的にやってみたいと思っているのは、小学生の英文物語暗唱講座、言葉の森の漢字集を利用した漢字マスター講座、20×20までの九九講座、人工知能のプログラミング講座(自分の勉強も兼ねて(笑))、手乗り文鳥の飼育訓練講座(かなり趣味的ですが)、自然の新しい遊び開発講座などです。
こういう多様な教育や文化を、多くの講師が個性的に創造し、その多様な教育機会の中で子供たちの個性や創造性を育てていくというのが、今後の創造教育の方向性として考えていることです。
ところで、現在の社会の問題の一つに経済の行き詰まりがあり、その原因は新しい産業の不在、つまり新しい消費と生産の不在と考えられています。
しかし、それとともに、もう一つの大きな問題が、長寿化の進展による年金制度をはじめとする社会保障制度の破綻だと思います。
経済の行き詰まりに関しては、今後、創造教育という新しい分野で新しい需要と供給を生み出すことに多くの人が参加するという見通しが考えられます。
江戸時代の後半は、長い平和が続き、社会が安定し、経済成長は停滞していましたが、その中で多様な新しい文化が生まれました。
それと同じことが、これからの日本で起こってくるのです。
したがって、これからの新しい産業の一つとして考えられるのが、創造教育文化産業というようなものになるのではないかと思います。
しかし、この経済の展望とは別に、長寿社会の到来に対してはまた別の解決策が必要です。
60歳や65歳で定年になった人が、その後100歳まで長生きするような社会になれば、個人の生活設計は大きく変わってきます。
国による社会保障は、もちろん期待することはできなくなります。
そこで考えられることは、一つは80歳や90歳になるまで続けられる仕事を持つことです。
その可能性のある仕事の一つが教育です。
これからの創造教育の分野では、一人の子供を多くの大人が見守り、これまで以上にていねいでたくましい子育てをしていく必要があるからです。
つまり、すべての子供に、最高の教育を受けさせることが、これからの社会の合意事項になり、その教育に多くの人が携わるようになるのです。
このときに、年長者の教え手は、若い教え手とは違う分野で活躍できるようになります。
この年長者による教育ということを考えると、私は、インディアンの古老が子供たちに語る人生論という場面を思い浮かべます。
川で魚をつかまえたり、山でヒグマと戦ったりするのは(ということはないか)、その教え手が古老ではなく、もっと若い人の役割になるでしょう。
鉢巻を締めさせて朝から晩までがんがん勉強させるというのも、古老の役割ではなく、どちらかと言えば若い人の役割です。
しかし、これから、点数化されない文化の教育の価値が見直されるようになると、年長者の教育における役割は次第に増えてくると考えられます。
さて、とは言っても、老人がいつまでも働き続けるというわけにはいきません。
国の社会保障が期待できない中で、子供に頼るという考えもありますが、子供の多い人もいれば子供のいない人もいます。
そこで、私が考えているのが、植林システムという名前にした(笑)個別対応研修システムです。
これは、森林プロジェクトで講師を長年やっているベテランの人が、新しく講師になる人の個別の相談相手になるという仕組みです。
この長い経験を持つ人と、その人を相談相手にできる新しい人との関係を、経営的な親子関係と見なします。
この具体的な仕組みはまたいろいろ複雑になりますが、要は、講師の役割は、よい子育てをするだけでなく、よい講師育てをすることになるということです。
そして、この仕組みを支える技術の一つが、仮想通貨の利用です。
これはまた更にいろいろ新しい話になりますが、今後の国際化の広がり、そして透明性の必要を考えると、仮想通貨を経営のインフラとして利用することがこれからますます求められるようになってくると思われます。
さて、話は少し変わりますが、今は、経済の問題とは別に、政治の問題も大きくなっています。
反日政策を続ける中国と韓国、核開発を続ける北朝鮮、にもかかわらず些細な政争に明け暮れる政治と、日本を取り巻く環境はある意味で危機的な状況にあります。
しかし、これらの問題は、人間が賢い選択をするようになればすぐに解決するものです。
これに対して経済の問題は、賢い選択自体がまだ見当たらない問題です。
だからこそ、これから、日本の経済を立て直し、よりよい社会を作るために、教育の力を十分に生かしていく必要があるのだと思います。
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森林プロジェクトの作文講師資格講座は、今はまだ作文指導の講師資格ですが、今後は今言葉の森が行っている自主学習クラス、思考発表クラブ、暗唱検定委員、作文検定委員、その他の新しいオンライン講座の資格も持てるようにする予定です。
というのは、教育には、単なる客観的なノウハウ以上に、理念や姿勢のようなものも必要だと思うからです。
例えば、手っ取り早く何かを身につけさせようとして、賞と罰でたっぷり教えれば確かにその何かは身につくかもしれませんが、それはどちらかと言えば、人間ではなく牛や馬の訓練に近いものになると思います。