●動画:
https://youtu.be/qXexQ2lpf7Q
小学1、2年生のころは、勉強面での差というものは、ほとんどないように見えます。
話し言葉に関しては、どの子も、それなりに達者に喋るので、特に大きな学力の差があるようには感じられません。
しかし、書き言葉に関しては、きわめて大きな差があるのです。
問題は、その書き言葉の差というものが、学年がかなり上がるまで目立たないことです。
もちろん、作文を書くというような授業の時間があれば、その差があることははっきりします。しかし、小学1、2年生で作文をよく書かせる授業というのは、私立小学校以外にはあまりありません。
だから、何も特別の対策を立てずに、読書や作文が苦手なまま自然に高学年まで進んでしまう子も多いのです。
算数が苦手だとか、英語ができないとかいうのは、知識や技能が不足しているだけの問題ですから、取り組めば誰でもすぐにできるようになります。
しかし、読書とか作文とかのように、日本語の運用能力に関することは、子供たちの思考力そのものですから、いったん差がつくと、その差を埋めることはかなり難しくなるのです。
しかも、日本語力は、勉強の習慣というよりも、家庭生活の習慣のようなものです。
親が何も言わなくても、いつも自然に本を読んでいる子と、親に何度も言われてやっとしぶしぶ本を読む子との間では、年間を通しての読書時間の差は膨大になります。
国語の勉強をするというということでは、到底追いつかないような大きな差が生まれてくるのです。
特に、現代は、ビジュアルなだけの本や、ビデオやYouTubeという活字の読み取りを必要としない環境が周囲に溢れています。
子供は、何もしないで放っておけば、自然に活字から離れていきます。
今はまだ、子供たちの読書力や作文力の低下ということは、それほど大きな問題になっていません。
しかし、これはいずれ大きな社会問題になってきます。
すでに、中学生や高校生で文章を読み取る力のない子が増えているからです。
対策はあります。
まず、低学年のうちに、読書教育にもっと力を入れることです。
そして、その読書力の目安となる作文教育に力を入れることです。
現在、子供たちの習い事は、いろいろあります。スイミング、ピアノ、サッカー、野球、算数、英会話などなど。
しかし、子供たちの一生を左右する最も重要な習い事は、日本語運用能力としての読書なのです。