言葉の森では、暗唱用紙を使った暗唱の練習をしています。これは、タイマーなどで時間を測って行う暗唱に比べて、かなりやりやすいものです。「正」の字を書いて回数を数えるのは、鉛筆を持っていないとできません。指を折って数えるのでは、あまりたくさんの回数は数えられません。紙を折って数える暗唱であれば、新聞のチラシなどを使ってすぐにできます。また片手でできるので、歩きながらでも、お風呂に入りながらでもできます。
いろは47文字というものがあります。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」です。最後に便宜上「ん」をつけると全部で48文字です。小学生のときに覚えさせられた経験があります。しかし、学校でやる時間はとれないでしょうから、宿題として覚えさせられたのではないかと思います。
この「いろは」に似たものに、「ひふみ」というものがあります。「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ」です。途中の「ひふみよいむなやこと」までは「一二三四五六七八九十」のことですから意味がわかりますが、その後は意味がわかりません。(「も」は百、「ち」は千だそうですが)
この「ひふみ」にヒントを得て、ランダムな48文字を作ってみました。読みやすいように七五調にしています。「りしにたやこけ さきふをは るみとへなくめ ゆゐてひか それもつのまね うよゑすわ いおんむほらえ あろちせぬ」。全く意味不明です(笑)。
江戸時代に行われた四書五経の素読は、子供にとっては同じようにほとんど意味のわからないものでした。湯川秀樹の兄弟たちも、六歳のころ素読をかなり苦痛に感じていたようです。福沢諭吉も、素読のような意味不明の苦痛の多い勉強をするよりも、西欧の知識をしっかり学ぶことが大切だというようなことを述べています。しかし、日本が欧米の先進国の知識を短期間に吸収できたのは、江戸時代までの素読という教育基盤があったからです。
今、言葉の森で行っている暗唱は、小学生の場合は同学年の子供の作文が中心ですから、読んでいて意味がすぐにわかります。江戸時代までの素読は、六歳の子供に、「子曰学而時習之不亦説乎(子曰く学びて時にこれを習うまたよろこばしからずや)」などとやっていたわけですから、子供にとっては何が何だかわかりませんでした。それで、多くの子供は、この素読の反復に苦労していたのです。
そこで、意味のわかりにくい文字列がどれぐらい暗唱しにくいのかということで、ランダム48文字の暗唱をしてみました。もちろんツールは、言葉の森の暗唱用紙です。
やってみると、わずか48文字なのに、30回音読してもできません。普通の文章であれば、100字でも15回から30回の反復で暗唱できるようになりますが、無意味な文字列というのはその倍以上も覚えにくいのだということがわかりました。結局60回音読すると、やっと空で言えるようになりました。かかった時間は約10分です。
ところが2日目に、別のランダム48文字でやってみると、今度は45回で暗唱できるようになりました。その文字列は、これです。「みつのふうちか めわろぬそ よてえもおませ らひゐをし ねんたえにむす はいさとき りくこほゆなあ やへけるれ」。
3日目に、別のランダム48文字でやってみると、今度は30回で暗唱できるようになりました。「ちてうだんよめ のりはろま なゐいゆとけえ あぬきらる そさにおすをせ ほゑむみれ かひやひふもつ くわしこね」
自分でもよくやるなあと思いつつ、4日目は、別の48文字です。「よへもくわやね ませいてつ となかひけをふ のろさちお えらこゑたある りみそはん ゐにめしむきほ れゆぬすう」。
そして、5日目に、全部を通して暗唱してみました。約200文字の意味不明の文字列の暗唱です。30回用の暗唱用紙を使って、やはり60回ぐらいでやっと全部を通して暗唱できるようになりました。
と、このような意味不明のことをやっていて(笑)よくわかったのは、暗唱にはコツがあるということです。ひとつは、やはり暗唱用紙を使って紙を折ってやる暗唱は、とてもやりやすいということです。もうひとつは、書いて覚えるよりも音読で覚える方が短時間でできるということです。みっつめに、句読点で区切らずに棒読みで読むほうが覚えやすいということです。
この棒読みで読むというのは、文字列を言葉として理解しながら覚えるのではなく、歌として無意識のうちに覚えてしまうということです。例えば、「私は、昨日、海に行きました。すると……」という文章を読む場合、「わたしはきのううみにいきましたすると……」と、句読点で区切らずに読みます。「わーたーしーはーきーのーうーうーみーにーいーきーまーしーたーすーるーとー……」という読み方でもいいと思いますが、ちょっと時間がかかります。
区切らずに読むと、100字程度の文章であれば、一息で読めますから、慣れてくると、その100字がひとつの単語であるかのようにまとまって頭に入ってくるようになります。中学生以上になると、急に暗唱が難しくなるように感じるのは、意味を理解しながら読むという習慣がついてしまうからだと思います。
学習というものは、意味を理解する面と、理解とは別に手足のように自由に使えるように技能を習得する面との両方があります。水泳などは、意味を理解しても泳げるようにはなりません。まず泳ぐという技能を習得することが先です。運動や音楽と同じように、国語力にも意味を理解する以前に、読む力や書く力を習得するという面があるのです。
しかし、このような暗唱のコツは、実際にやってみないとなかなかわかりません。今、親の世代は、子供のころ何かを暗唱させられたという経験があまりないので、暗唱のコツがよくわかりません。そこで、つい、暗唱することを覚えることと勘違いしてしまいます。暗唱は、覚えることではなく、ただ反復することです。
今実際に暗唱をしている子供たちは、このあたりのコツがわかっていると思うので、将来、この子たちが大きくなって親になったら、その子供にうまく暗唱の仕方を教えることができるようになると思います。
では、暗唱にどのような効果があるのでしょうか。第1は、作文力がつくことです。暗唱をしていると、文章がスムーズに書けるようになります。これは、暗唱をしている子供たちの作文の字数が増えていることでわかります。第2は、これは脳波計で調べたことですが、暗唱をしているとΘ波が増えるということです。Θ波が増えると、気持ちが平穏になり、ひらめきが増えるようになります。暗唱をしていと、発想がわきやすくなるという効果があるのは、このためではないかと思います。
暗唱で、記憶力がつくとか、読解力がつくという効果は、あるとしてもそれほど大きくはないと思います。読解力は、難しい文章を繰り返し読むことによって身につくので、今、言葉の森で行っている問題集読書がいちばん効果があります。今度、毎日10ページの付箋読書を行う予定ですが、毎日10ページの読書は、読解力をつけるというよりも、読解力の基礎となる読書力をつけるという役割になると思います。