facebook記事より。
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昔、パソコンが一家に1台の時代になる、と言ったら、話半分にしか聞いてもらえませんでした。
まして、1人に1台の時代になるというのは、口では言っても、自分自身がそれはかなり先のことだろうと思っていました。
しかし、今では、1人でパソコンを複数台持っている人もいます。
少し前までは、人間はみんな家族のようなものというと、笑い話のようにしか聞いてもらえませんでした。
しかし、今では、多くの人が多かれ少なかれそういう意識を持っています。
家族だったら、競争したり、相手よりも優位に立ったり、他人を支配したりする必要はありません。
自分と他人の区別はあっても、その区別が優劣の差になる度合いはほとんどなくなります。
そういう時代意識が、今加速しているように思います。
新しい時代の勉強は、他人に勝つために行うのではありません。
今はまだ、受験やら何やらで勝ち負けのゲームが残っているので、そのゲームに参加せざるを得ませんが、やがてそういうゲーム自体がなくなります。
そのときに残る勉強は、純粋に自分自身の向上のために行う勉強で、その向上と並行して、幸福や貢献や創造があるという関係になっていきます。
今はまだ雲をつかむような話ですが、予想よりもずっと早くそういう時代が来ると思います。
今日は、静かな雨の日曜日。
こういう日は、家の中で家族でできる楽しい遊びを工夫してみましょう。
facebookグループ「親子で遊ぼうワンワンワン」
https://www.facebook.com/groups/wanwanwan/
面白い遊びがあったら投稿してください。
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あるサイトに、「文を書くのが苦手な小3男子 中学受験の専門家がすすめる勉強法は?」という記事がありました。
質問の内容は、「普段読書をしないせいか、記述問題や作文、感想文などがとても苦手です。作文や感想文を書く際に「どう思ったか」「自分ならどうするか」を入れてみてはとアドバイスすると、本当にそれだけを書いて2行で終わる始末です。」ということでした。
この質問に対するアドバイスは、「文を書くことが苦手な子どもは、たいてい、お手本となる文章をあまり目にしていないことに原因があると思います。普段から読書をしていないと、表現や文章の構成をどのように書いてよいかわからないでしょう。対策としては、小学生新聞や通信教育などもよいと思いますが、他の子どもの作文を読ませて、書き方を“マネさせる”ことも1つの方法です。」として、、「インターネットで検索すれば、優秀な作文や感想文を見つけられると思います。そして、お手本の作文に沿って同じような構成で、子ども自身の体験の作文を書かせてみるとよいでしょう。」ということでした。
上手な文章を手本にして真似るということ自体は、いい方法です。
しかし、問題は、子供がそういう勉強を続けられるかどうかということです。同学年の子の上手な作文を書き写す勉強というのは、自分の文章がだめだからほかの子の真似をしなさいということですから、楽しいはずがありません。
これがもし、子供がもっと小さくて作文というものを書いたことがほとんどないような時期でしたら、手本を真似るというのはいいやり方です。しかし、その場合も、手本を真似るという意識ではなく、手本に馴染むというような感覚でやっていくことが大切です。
手本を真似るというのは、自覚した年齡の子が自主的にやるにはいい方法ですが、小学校3、4年生の子がそういう自覚を持つことはまずありません。
ところが、小学4年生までの子は、お母さんの言うことをよく聞きますから、そういうやりたくない勉強も続けさせられてしまいます。その結果、やがて親子の仲が悪くなり、子供は作文を書くことがますます嫌いになってしまうことも多いのです。
小学校3、4年生までに、自分の意思に反することを親に強制されていると、小学5年生ごろになり自己主張ができるようになると、今度は逆に親の言うことを聞かなくなります。
この強制が躾に関するようなことであれば、子供が反発しても、親には信念がありますから、子供はそれを強制とは考えずに自分の生き方のルールとして受け入れます。
しかし、勉強の仕方に関することは、親も試行錯誤でやっているので、続けることが難しい場合はうやむやのうちにやらなくなってしまうこともよくあります。すると、子供は、親に言われたことでも自分の嫌なことはやらなくてもよいのだということを学習するようになります。その結果、学年が上がると親の言うことを聞かなくなることが多いのです。
では、文を書くのが苦手な子に、文章を書く力をつけるためにはどうしたらよいのでしょうか。実は、もっと楽しく簡単にできる勉強法があるのです。
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作文が苦手な子に、その作文をいくら直しても、上手にさせることはできません。
上手になるどころか、ますます作文が苦手になることが多いのです。
では、上手な作文を手本にして書き写すというのはどうでしょうか。
それは、自分の文章がだめだからほかの文章を真似しなさいということですから、やはり楽しいはずがありません。
いい方法は、その子の書いた作文の中身をまず褒めてあげることです。
しかし、その際に、「でも、もっと漢字を使わなきゃね」とか、「もう少していねいに書かないと」とか、「この表現がおかしい」とかいうことは言わないことです。
誤字は直しておきますが、誤字を直すことが勉強の中心ではありません。
そして、作文を褒めてあげる一方で、長文の音読を毎日数分続けるのです。
子供が音読に飽きて、ふざけて読んでも気にしません。
音読についても、読み方を注意する必要はないのです。
音読を続けて半年もすると、子供の書く文章が違ってきます。
褒めて続けているだけで、自然に褒められるような実態があとからついてくるのです。
簡単(笑)。
●「漢字を使う」「ていねいに書く」は書いたあとではなく、書く前に言うこと
書く前の心構えとして、習った漢字を使う、ていねいに書くというのはいいのです。でも、それも大体できていればいいことです。
よくないのは、書いたあと、作文の中身よりもすぐ目につくところで、漢字を使う、ていねいに書くということを言ってしまうことです。
普段の作文は、中身のいいところを褒めていて、清書して作文を投稿するときなどに、漢字を使うことと、ていねいに書くことを目標にしていくといいと思います。
●事前の指導があると褒めやすい
書いた作文の中身を褒めるのもいいことですが、事前指導がそれに加われば、更に褒め方が具体的になります。
その事前指導のひとつが構成指導です。例えば中学生だったら、意見→理由1→理由2→意見、というふうに事前に書き方を指示すると、方向が決まるので書きやすくなります。
小学生の場合は、構成よりも表現の事前指導で、会話・たとえ・思ったことを入れて書く、というふうに事前に指示をすると書きやすくなります。
事前指導のいいところは、その指導をもとに合理的に褒めることができる点にあると思います。
●音読は、模範文よりも普通の説明文で
音読は、模範作文のようなものよりも、普通の説明文の方がいいと思います。読む力をつけるのが大事なので。
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教育の役割は、人間の能力を高めることにあります。
人間の能力の中心は知力です。知力の中心は創造力ですが、創造力が現実に役立つものになるためには、材料となる知識や技術が必要です。だから、現在学校で行われているような基礎的な知識や技能の習得が、教育の大きな目標になります。
人間の能力の中には、知力以外のものもあります。その一つが体力です。体力には、持久力、瞬発力、巧緻性などがあります。また、病気や怪我に対する抵抗力、治癒力などもあります。この体力を高めることも、教育の大きな目標です。
人間の能力には、知力、体力以外のものもあります。日本では、昔から知育、体育、徳育ということが言われていました。知育が知力を育て、体育が体力を育てるものであるように、徳育は徳力を育てるものです。教育の大きな目標の第三は、この徳力を育てることです。
徳力は、現実的な形では、次のような力として表れます。
まず、物事がうまく進む力です。現実世界は、物理的な法則のもとに動いています。だから、物事が生起する現象は確率的なはずです。しかし、人間が関わるものには、確率をわずかに超える現象があります。このわずかな差を生み出すものが徳力の一面である想念力です。
想念力は、知力や体力ほど確実な目に見えるものではありません。しかし、人間社会では、この想念力のわずかな差が、しばしば大きな結果の違いとなって現れます。
徳力のもう一つの面は、身の回りの危険や安全を察知する力です。人間は、二つの選択肢があった場合、そのどちらかをランダムに選ぶのではありません。客観的な裏付けはないものの、勘によってよりよいものを選びます。このよりよいものを選ぶ微妙な力が、徳力のもう一つの面である心眼力です。
この想念力と心眼力、つまり心身力を伸ばすのが、心身教育の目標です。
教育には、評価の手段と習得の方法が必要です。
心身力の評価の手段は、想念力や心眼力の小さなシミュレーションです。
心身力の習得の方法は、あらゆるものに対する分け隔てのない愛のようなものです。
これは、具体的にはさまざまな形で表れます。関英男さんの述べた洗心のようなものや、塩谷信男さんの述べた前向きな心や、中村天風さんが述べた積極心のようなものと考えてもよいでしょう。つまり、怒らない、不満を言わない、愚痴をこぼさない、不安を持たない、周囲に感謝し思いやりを持ち、いつも明るく幸福な気持ちでいて、勇気を持ち積極心で生きていくというような心の姿勢のことです。
世間一般で考えられている人間の徳というものは、徳育教育の目的ではなく方法として考えていくものなのです。
心身力の習得の重点には、個人差があります。ある人にとっては怒らないことが、他の人にとっては愚痴をこぼさないことが、また他の人にとっては勇気を持つことが重点になります。課題は、人によって違うのです。だから、その内容は、他人が決めるものではありません。また、他人がその度合いを評価するものではありません。ここが、道徳や宗教と違うところです。
心身教育が進むことによって、人間の能力は大きく発展します。しかし、人間は生身の肉体を持った存在ですから、どれだけ心身力が発達しても、知力と体力は別の課題として追求していく必要があります。
そして、やがて、知育、体育、徳育のバランスのとれた人間になるというごく平凡なことが、教育の目的として改めて了解されるようになるのです。
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これからの教育で重要になるのは、創造性を育てる教育です。
では、これからの時代に創造性を必要とする知的なフロンティアはどこにあるのでしょうか。
IT技術や金融工学には、もう新たな開発の余地はあまり残っていません。ロボット作りは、これからの新しいフロンティアになるでしょう。しかし、それ以上に新しい創造の分野は、実は日本語の中にあるのです。
日本語は、もともと教育性の高い言語です。日本人の平均的学力が高いのは、教育の成果だけでなくそれ以上に日本語という言語の成果です。
だから、将来の世界的な言語は、伝達のための英語が次第に機械翻訳などに置き換えられるとすれば、教育性を基準にした日本語になっていくと思われます。
この日本語の教育性を、今後は日本語の創造性に発展させていく必要があります。それを仮にハイパー日本語と呼びます。ハイパー日本語とは、概念の密度を高めた日本語です。
日本語は、自然描写や心情描写の語彙を豊富に持つ言語です。しかし、抽象的な概念の語彙はあまり持っていませんでした。それは、日本の文化が、議論や論争のような言挙げをしない文化だったからです。
日本語の概念言語の多くは、海外からもたらされました。例えば、矛盾という語彙は、盾と矛の故事から来ています。もし、誰もが正直な商売をする社会があるとしたら、そこでは矛盾という語彙や概念は生まれにくかったでしょう。助長という語彙は、植物が伸びるのを助けるために根を引っ張ったという故事から来ています。もし、誰もが植物の気持ちを考え不自然なことをしないという社会だったら、そこでは助長という語彙や概念はやはり生まれにくかったでしょう。
日本で概念的な語彙が発展しなかったのは、日本の社会が基本的に平穏な共感度の高い社会だったからです。
その平穏な社会が海外の文化との接触の中で概念語彙を受け入れるときに、漢字の造語力が役に立ちました。この造語力が、近代の欧米文化の流入の際にも発揮されました。エコノミー、フィロソフィーなどの欧米にある概念が、経済、哲学などの新しい漢語として日本語の中に組み入れられたのです。
欧米の表音文字で新しい概念を作るには、ギリシア語やラテン語の素養が必要だと言われています。日本語では、その役割を漢字の持つ表意性が担いました。
しかし、日本語と結びついた漢字の力にはそれ以上のものがあるのです。
それは漢字の表意性による概念形成力を更に発展させた漢字の概念圧縮力です。
日本語には、言葉を短縮して使うようになった語彙が数多くあります。例えば、ワードプロセッサならワープロ、デジタルカメラならデジカメ、電子卓上計算機なら電卓という具合です。
この言葉の短縮を概念の圧縮として使うことができます。
例えば、「鶴の恩返し」という民話があります。このストーリーの持つ概念は、読み手によって何層にも読み取れますが、この多層的な概念のひとつを「鶴恩」という言葉で表し、その概念を多くの人が共有すれば、それが概念の圧縮となります。宮沢賢治の「注文の多い料理店」という童話があります。この童話の持つ多層的な概念も、「注料」という言葉で表すことができるかもしれません。
人間の思考は、言葉を使って行われています。その言葉を組み合わせる力のもとになっているものは短期記憶です。ところが、短期記憶は一度に7つぐらいのまとまりしか同時に操作することができません。だから、小さい子供は、長い文の話をなかなか理解できません。それは概念の圧縮度がまだ低いからです。逆に言えば、長い文に接することによって、子供の思考力は伸びていくとも言えます。
大人の場合でも、ランダムな文字や数字は7つぐらいまでならそのまま保持できますが、それ以上になるとメモなどをしないかぎり保持できなくなります。
概念も同じです。人間がものを考えるときは、複数の概念を組み合わせながら思考を進めます。そのときに、一つ一つの概念が高密度に圧縮されたものであれば、思考の速度は何倍にも上がります。
この日本語における漢字の概念圧縮力を新しい日本語の可能性として発展させるものがハイパー日本語です。別の言い方で言えば、日本語の高密度の運用法です。
日本語は、将来日本人だけでなく、世界に広がる可能性を持っています。それは、日本語を使うことによって知識の習得や理解が速まるという教育性があるからです。この日本語の教育性に加えて、更に日本語の創造性を発展させたものがハイパー日本語です。
言葉の森では、オープン長文作成プロジェクトと結びつける形で、このハイパー日本語プロジェクトを提案していく予定です。
「弁証法」「限界効用」「即自対自存在」などの語彙には、その背後に大きな概念があります。しかし、これらの概念を身につけるには、その語彙が使われている本を読まなければなりません。辞書でわかるのは、主に小さな概念語彙です。大きな概念語彙は、辞書的な意味を知るだけでは、思考の道具として使うことはできないからです。
しかし、読書でも辞書でもない概念語彙の習得の仕方として、ひとまとまりの文章を繰り返し読む方法があります。繰り返し読むためには、その文章の内容が優れているとともに、表現も美的に優れている必要があります。それをオープン長文として作成していきます。
このオープン長文プロジェクトの仕組みは次のようなものになります。
まず、最初の作者が作った長文のタイトルを、例えば、「○○」バージョン1とします。その長文を改良(換骨奪胎)して新しく長文を作った人がいれば、それは「○○」バージョン1.1になります。更に別の人も、元のバージョン1を改良すればそれは「○○」バージョン1.2になります。そのバージョン1.2を改良した人がいれば、それは「○○」バージョン1.2.1です。そして、元の作者が、それらの改良をふまえてバージョン1を改良した場合、それは「○○」バージョン2になります。
このようにして、オープンな参加でよりよい長文を作っていくのです。
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言葉の森では、プレゼン作文という創造性を志向した作文指導を進めるとともに、国語、数学、英語、プログラミングなどの全教科の自習チェックとミニ検定試験を行う構想を持っています。
全教科自習チェックとミニ検定試験というのは、今世界の先端的な教育の試みとして行われている反転授業と結びついています。反転授業というのは、学校ではもう勉強を教えるような授業をしないということです。勉強は家庭で行い、学校はその成果を共有し交流する場になるのです。
これまでの教育では、学校で基本の勉強を教え、家庭はその基本を応用する場となっていました。それは、学校に行かないと、教科書、黒板、先生、授業という教育システムを利用することができなかったからです。しかし、ネットの時代はそうではありません。家庭のパソコンで、教科書も黒板も先生も授業も、時間の制約なしで利用することができます。
だから基本となる勉強は家庭で行い、学校には、家庭で身につけた基本をもとに先生や他の生徒と知的な交流をするために出かけます。
これまでは、学校で基本、家庭で応用でしたが、これからは家庭で基本、学校で応用という教育になるのです。
ところが、この反転授業が成り立つためには、家庭で自学自習を行う習慣と文化がなければなりません。これからは、家庭学習をいかに家庭生活の中に組み込んでいくかということが重要になってきます。
言葉の森が、「プレゼン作文という創造性を志向した作文指導+国語数学英語プログラミングの家庭学習とミニ検定試験」という構想を持っているのは、こういう未来の予測があるからです。
これまでは、学校の勉強についていけないと、塾に行くという発想がありました。しかし、学校も塾も、勉強を教える場ではなくなります。勉強は、ネットを使って家庭で行うことが基本になります。家庭で行った学習をチェックし共有するために学校や塾があるという形です。これからの家庭は、子供の教育を中心としたものになっていくのです。
しかし、家庭での教育は、家庭にタブレット端末やネットワークシステムがあればできるというものではありません。そのようなハードの環境よりももっと大事なものは、家庭で学習する文化というソフト的なものです。
この家庭学習の文化を支えるものとして、地域のミニ寺子屋のような家庭教室がこれから普及していく可能性があります。
言葉の森が進めている森林プロジェクトは、こういうミニ寺子屋のような通学教室を想定したものです。
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これからのプログラミングは、どういう方向で発展するでしょうか。
これまでのIT技術の多くは、htmlなどのインターネットに関する技術として発展してきました。facebookやgoogle+やブログやyoutubeなどが、そのひとつの完成した形です。
しかし、インターネットを中心にしたIT技術は、これからのプログラミングで、若い人たちが熱中するキラーアプリケーション(というかキラー目標)ではありません。そこは、もう開拓されてしまった場所なので、第二、第三のザッカーバーグが登場する余地はありません。
若者が熱中するプログラミングの新たなフロンティアは、ロボット作りです。それは、プログラミング+物作りで、センサーという感覚器官と、運動や音声の出力である運動器官と結びついたプログラミングの技術です。しかも、ロボットという物作りには、自動車作りが持っているような美の要素があります。その美的な要素は、3Dプリンタなどの活用によって個人が操作することができます。この美しい物作りという面が、ロボットプログラミングの裾野の広さになるのです。
既に、スクラッチなどの子供向けプログラミング言語、ラスベリーパイなどのミニコンピュータ、ラピロなどの組み立てロボットの組み合わせで、小学生が家庭でロボット作りを楽しむ現実的な可能性が生まれています。こういう子供たちが将来、日本のロボット産業を担っていくのです。
言葉の森では、近い将来、このプログラミング教育も通信の家庭学習の中で行っていきたいと思っています。
子供たちののロボット作りのイメージは、次のような感じになるでしょう。
まず組み立てたロボットに、入力と出力のプログラムをします。もちろん、これは今の段階では、かなり上の学年になってからです。
プログラムの入ったロボットは、その子の毎日の生活に合わせて、朝になったら、「おはよう」などと声をかけます。そのあと、ロボットは自分で動いていき自動掃除機のスイッチを入れます。それから、カーテンを開け、エアコンや炊飯器のスイッチを入れます。
子供が勉強しているときは、近くにいて静かに見守っています。時間を見計らって、お茶を入れて運んできます。子供が、「何か歌って」などと頼むと、その子の好きな歌を歌います。何もする必要がないときは、子供の横で居眠りをしています。子供が夜寝るときは、一緒に布団の中に入ります。
子供にとっては自分だけの知性のあるペットのような存在がロボットです。やがて、子供は、そのペットのロボットを自分の好みに合うように、より美しくより格好のいいものにしようと考えます。3Dプリンタを使えば、粘土で人形を作る感覚で自分の好みの外見を作ることができます。
友達と遊ぶときでも、そのペットのロボットを一緒に連れていくので、どの子も、自然に自分のロボットを持つようになります。自分でまだプログラムや造型のできない子は、出来合いのロボットをペットにします。パソコンが一家に1台の時代から、一人に1台の時代になったように、将来は一人に1体のロボットが普及するようになるでしょう。
これまでの経済を牽引してきたのは、自動車や住宅という裾野の広い産業でした。しかし、これらは次第に飽和状態になりつつあります。今後は、ロボットが新しい産業として広い裾野を持つようになるでしょう。
そして、ロボット技術が更に高度化すると、鉄腕アトムのような人間の代わりに仕事ができるようなロボットも登場してきます。少子化が労働力の不足という点で問題があるのなら、それはロボットの投入で解決されます。その分、人間が、より多くの創造性を発揮し、より豊かな消費をするようにすれば、少子化は社会問題ではなくなります。
ロボット産業は、そういう可能性を秘めているのです。
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これまでのIT(Information Technology)技術は、主にインターネットの中で発展してきました。
インターネットは、双方向性、色彩、音声、映像、動画と、現実世界に限りなく近づいていきましたが、基本はバーチャルな世界でした。
そして、このバーチャルな世界は、あらかた開発されてしまったかのように見えます。
昔の子供たちがコンピュータ・プログラミングに熱中したようには、今の若い人たちはプログラミングに興味を持っていないように見えます。
それは、IT技術のフロンティアがなくなってしまったからで、IT技術は今はただ仕事の必要のために学ぶ勉強のようなものになっているのです。
しかし、これから登場するのは、リアルな物作りがIT技術と結びついた世界です。
その一つが、ロボット作りとロボットプログラミングです。
まだ個人が二足歩行ロボットを簡単に作ることはできませんが、やがて重力や傾きや加速度を感知して姿勢を制御するような部品または関数が豊富に開発されるようになるでしょう。
すると、プログラミング技術は、それらの関数を組み合わせる技術になります。
そこに3Dプリンタを使った成型技術が加われば、誰もが自分だけのロボットを作ることができるようになります。
これからのIT技術は、そんな夢に誘導されて発展していくと思います。
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今回の話は、少し長くなる予定です。
最初に、スクラッチやラズベリーパイに見られるプログラミング教育の新しい流れについて書きます。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131029/514542/
そのあと、プログラミング教育のキラーアプリケーションがラピオなどのロボット作りにあることを書きます。
https://www.makuake.com/project/rapiro/
そして、キラーアプリケーションの重要な要素である「美」をロボット作りと結びつける3Dプリンタについて書きます。
そのあと、プログラミング教育は、家庭の自習として行えるものだということを書きます。
そして、その家庭の自習というのが、最近、大学の先端的な教育として試行されている反転授業と同じものであることを書きます。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/26/flipped-class_n_3993388.html
次に、IT技術が創造的であった時代は、もう終わりつつあるということを書きます。
その終わりつつある姿が、facebookやgoogle+やブログやyoutubeです。
そして、新しい創造性のフロントは、日本語にあることを書きます。
その創造性を育てる日本語をハイパー日本語と呼びます。
ハイパー日本語をオープン長文運動と組み合わせていく展望について書きます。
更に、将来の創造性のもうひとつの分野として心身教育を取り上げます。
心身教育を客観的なものにするための学習方法と評価方法について書きます。
では、最初に、プログラミング教育について。
スクラッチというプログラミング言語によって、子供たちがプログラミングを楽しむことが、より容易にできるようになりました。
ビジュアルな操作で、小学生でも、基本的なプログラミングの考え方を身につけることができるようになっています。
では、なぜ子供のころからプログラミングを学ぶ必要があるのでしょうか。
それは、第一に、プログラミングが面白い遊びだからです。出来合いのゲームをするのにも面白さはありますが、自分で何かを作り出すというのはまた別の面白さです。それはちょうどいい歌を聴くことと、カラオケで自分で歌うことの違いのように異なる種類の面白さです。
そして、受け身のゲームよりも、自作のプログラミングの方が進歩や向上があるという点で、より永続的な面白さになるのです。
プログラミング教育が必要な第二の理由は、プログラミングが、近い将来、国語、数学、英語に匹敵する主要教科になる時代が来ると思われるからです。
そのころには、英語は、自動翻訳ソフトの機能が向上することによって、勉強として学ぶものではなくなっている可能性があります。すると、将来の主要教科は、国語、数学、プログラミングの3教科になるかもしれません。プログラミングの学習には、それぐらいの幅の広さと体系性があるのです。
プログラミング教育が必要な第三の理由は、これがいちばん重要なことですが、プログラミングは、勉強にも、仕事にも、あらゆる生活に役に立つ便利な技術だからです。
例えば、それは、こういうことです。
旅行に行くときに、大きな駅に着くだけなら、電車で済みます。よくある一般的な仕事なら、出来合いのソフトで間に合うのです。例えば、ワードで文書を作り、エクセルで表計算をするというようなことです。
しかし、その大きな駅から少し離れた場所に行くには、バスやタクシーを利用しなければなりません。それは、ワードやエクセルの機能を引き出し、又は組み合わせて、より便利な使い方ができるようになるというようなことです。
しかし、その人だけしか行かないような場所を手探りしながら進みたいときは、もうバスやタクシーは使えません。自分で自動車やオートバイを運転して試行錯誤をしながら進まなければなりません。
仕事をしていると、必ず自分だけにしかニーズがないような課題にぶつかります。そのときに、プログラミング技術が役に立ちます。プログラミングの技術があれば、「こういうソフト、ないかなあ……。なさそうだから、自分で作ろう」ということもできるのです。
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上手な模倣より、下手な独創。
そういう時代が来ています。
これまでは、上手にやることが目標でした。
これからは、独創的にやることが基準になります。
上手にやらなければならなかったのは、勝ち負けがあり、競争があったからです。
独創的にやるようになるのは、その方が面白いからです。
先日のプレゼン作文発表会でも、自分らしさを感じさせる子が何人もいました。
そういう子供たちは、小学生や中学生なのに存在感があるのです。
こういう子供たちがいれば日本の未来は明るいと思いました(笑)。
今日から11月。
明るい青空が広がっています。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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