今、言葉の森の作文教室とは別に、言葉の森読書暗唱クラブという教室を計画しています。
その内容は、付箋読書による読書指導と、長文暗唱と筆写の指導です。読書については、読んだあと読書図を書かせるということも考えていますが、あまり複雑にすると時間がかかるので、読書と暗唱のチェックが中心になると思います。
なぜ、こういうスタイルの教室を考えたかというと、今の子供たちの国語力、思考力、表現力をもっと向上させる必要があると感じたためです。国語力さえあれば、英語や数学はすぐにできるようになります。逆に、国語力がないと、英語や数学が今いくらできているように見えても、やがて限界が来ます。
しかし、現在行われている国語の指導のほとんどは、問題を解くような形のものが多く、国語力をつけるにはあまり効果がありません。国語力をつけるためには、実際に読んだり書いたりすることが大事で、問題を解く形での練習は能率が悪いのです。
不況の深化によって、これからの社会は収入の二極分化が更に進んでいくと思われます。しかし、教育のように人間の生活に欠かせないものは、平等に機会が与えられなければなりません。
今、教育にお金がかかるのは、教材と教え方がコストのかかるような仕組みでできているからです。しかし、読書と暗唱と筆写であれば、教材や教え方をかなりシンプルにすることができます。読書については、本の貸出というところにコストがかかりますが、これは、近所の数家族が共同で本を購入し回し読みするような形でいくらでも安くすることができます。
読書暗唱クラブは、今はまだ案の段階ですが、できるだけ早く全国に通学教室を開く形で広げていきたいと思っています。
小5の保護者の方から、(表現項目の)「『まるで』とか『分かったこと』などを簡単に考えている」ようだというご意見がありました。
以下は、そのご意見に対してのお返事で、父母の広場に掲載したものです。
↑ 「形だけになる時期もあるよね」「サイですか」
確かに、項目は形だけ書いておしまいにするという書き方もできます。
こういう書き方をする原因は、二つあります。
第一は、語彙力がまだ不足しているために、形だけの書き方になってしまうという場合です。
第二は、勉強に対する自覚が不足しているために、形だけ書いて早く終わらせてしまうという場合です。
語彙力の不足に関しては、自習によって読む力をつけることで少しずつ改善していくことができます。
自覚の不足に関しては、親や先生が話をして自覚することもありますが、長い間続けているうちに、子供自身が形だけで終わらせてしまう勉強に空しさを感じ、よりよい文章を書くように心がけるようになってきます。
当面は、自習の強化をしやすいように工夫していきたいと思っています。
以下は、父母の広場には書きませんでしたが、関連する話です。
小学5年生から中学2年生にかけては、身体よりも意識が先行する時期のようです。
それまでの小学4年生までは、素直に大人の言うことを聞く時期で、意識と自分の実際の姿が結びついていました。
しかし、
小学5年生あたりから、今はそうではないが本来はこうあるべきだというような意識が成長してきます。このため、親の言うことにも反発することが出てきますし、自分で納得できないことはやらないという気持ちもでてきます。
よく作文にウソを書く(脚色する)という問題が出てくるのもこの時期です。これは、大人になってからのウソと違い、自分でもそういうことができるのだということを試してみたいという心の表れですから、強く注意する必要はありません。ただ、「オーバーに書いて褒められるより、目立たなくても本当のことを書く方がいいんだよ」と話しておくことは大事です。そういう話をするだけで、子どもはすぐに理解します。
表現項目を形だけ入れるというのも、この時期の意識の成長状態というところから考えていくことができます。子どもは、「形だけやって、◎をつけてもらって、うまくやった」ということを自慢してみたいという気持ちがあります。
自分がそういう要領のいいやり方もできるのだということを試してみたいということなのです。
ですから、このときの注意の仕方は、簡単に「もっとよく考えて書きなさい」と言うのではなく、もっとじっくりと話していく必要があります。どういう話かというと、人間が何のために勉強するのかということから始めて、◎をつけてもらうことよりも、自分自身が向上することが大事なのだということを、親の人生観としてしみじみと話していきます。どのような話であっても、親が真剣に言ったことは、必ず子どもの心の中に残ります。内容がすべては理解できなくても、漠然と、表面の評価よりももっと大事なのは内面の真実なのだということが伝わっていきます
。
勉強に対してこのような自覚を持った子は、中学生になっても、高校生になっても、勉強に対する姿勢が違ってきます。
点数のためではなく、自身の向上のために勉強するという自覚を持った子は、年齢が上がるにつれて実力をつけていきます。
そう考えると、形だけ書いておしまいにするというのは、親が勉強の意義について話をするいいチャンスだと考えることもできます。