あるブログで、サイババスクールの話を読みました。そこでは、単なる知識や技能を教えるだけでなく、もちろんそれも大切なことですが、人間が生きる根本の哲学と実践を教えているような学校でした。
シュタイナースクールにしても、モンテッソーリ教育にしても、このようなある理想に根ざした教育を行っているところは。世界に数多くあります。
しかし、いくら数多くあるといっても、そこに来られる人はほんのわずかです。
それは、場所の制約があることと、多くの場合費用の制約があるという理由からです。もちろん、そのような学校の中には無料のところもありますが、それはその地域や団体からの援助によって成り立つ無料ですから、本質的な無料ということではありません。
現在の教育の問題は、教える中身はそれぞれに豊かなものがあるのにもかかわらず、それを広げる方法ががないというところにあります。
しかし、ここで未来の展望として考えられることがあります。
それは、例えば複数の人工衛星によって世界中どこでもインターネットが利用可能になり(すでにそういう計画が進んでいると思いますが)、子供たちが数万円のクロームブックのような端末さえ持っていれば(アイパッドでももちろんいいのですが)、地球全体で質の高い教育が可能になるということです。
現在も、すでにMOOKなどの試みによって世界中を対象とする教育は可能になっていますが、学校という先生や生徒との触れ合いのある教育機会はまだほとんど達成できていません。
しかし、それは学校という形でなくてもいいのです。大事なことは、人間どうしの交流があることです。
学校という組織は、もちろん大きな影響力を持ちますが、多くの人にとって、学校で特によい教育を受けたという実感はないと思います。
その代わり、人間形成において影響を受けたのは、両親や兄弟や祖父母、そしてテレビや本の文化、さまざまな友人たち、そして学校も含めた多くの集団や組織でした。
中でも両親による影響は、子供の人間形成の上で大きな影響を持っていたと思います。
こう考えると、子供たちがそれぞれの家庭で、又は地域のある家庭に集まって、インターネットによるオンラインで、さまざまな地域の子供たちと先生が多様な勉強に取り組むというのが、未来の教育の姿になってくるのではないかと思います。
このようなシステムができれば、世界中の子供たちが場所や費用の制約のない良質な教育が受けられるようになります。
このときの先生の役割は、教えることよりも子供たちを育てることになりますから、今のような教育資格を持った人に限定されるのではなく、志のある多数の人によって担われて行くようになります。
先生の役割が、教えるから育てるへ、ティーチングからコーチングへと変わるのは、インターネットで提供される優れた教材が教育の中身になるので、その中身を先生が教えるということがなくなるからです。
この結果、ネットワークを利用した教育は、場所代も建物代も人件費もほとんどかからなくなり、世界中の子供たちに文字どおり制約のない教育を提供できるようになります。
費用がほとんどかからないとはいっても、お金のやりとりがなければ運営は回りませんが、それはブロックチェーンでカバーできるようになるので、運営のための大きな組織が必要になるわけではありません。
クロームブックのような端末は、現在日本では4万円程度ですから、量産すれば1万円ほどで生産できるのではないかと思います。
インターネットの接続が無料になるとすれば、世界中で数十億人の子供たちすべてにその端末をプレゼントしたとしても、計算は省略しますが大した金額ではありません。
このような教育のモデルを日本にあてはめると、オンラインで行う寺子屋教育のようなものになると思います。
この教育モデルを作るために、言葉の森では、寺子屋オンラインと、森林プロジェクトによる講師育成講座を進めているのです。